性別に偏見を持ってたのは自分だったっていう話。
こんにちは、ふたおです。
この頃、実験的にYouTubeに動画をあげてみてるのですが、どうにも喋るのが得意でなさ過ぎて……。
こうして文字に起こす方がまだ性に合ってるのかなぁと思いつつあります。
でも映像の方が伝わりやすいこともあるかと思うので、動画の方ももう少し継続していく所存です。
更新ペースはゆっくりになると思いますが、YouTubeの方も何卒よろしくお願い致します。
https://m.youtube.com/channel/UCzDyGY6cauS6YbJjdDDF2Rw
性別にとらわれたくないvs性別を気にしてしまう
前回の記事にも書いたことですが、男性らしくでも女性らしくでも中性らしくでもなく、一番は自分らしくありたいと思っています。
まぁ、性別という枠組みに仕分けられるのめんどくさーという感覚が強いのですが。
ただ、今でこそいい意味で諦めがついたというか開き直ったというか、性別なんて何でもいいやというスタンスではありますが、昔はそうもいかなかったのです。
むしろ人一倍、性別にこだわっていた部分が強かったなぁと思います。
特に学生時代は思春期ということもあり、そういうことに敏感になっていました。
男性か女性かの二択しか知らなかった頃なので仕方ないとは思いますが、女性ではないけれどそこまで男性になりたいわけでもない、という宙ぶらりんな状態だったので今振り返ると結構しんどかったなぁ……と。
「恋愛に性別なんて関係ないじゃないか!」と口先では言いながら、実は自分も性別が気になってしまっていたのだと思います。
元々の性格が引っ込み思案ということもあり、周りからどう見られているか、どうしたら変に思われないか、と周囲からの視線をいつも気にして自分らしくは全く振る舞えていませんでした。
とりあえず無難に済ませたくて、周りから女子として見られているのならその通りに生きていこうと考えたこともありました。
カミングアウトをしてみて
人生で最初にカミングアウトしたのは、高校時代にお付き合いした恋人でした。
かなりの緊張感を覚えながらも勇気を出して伝えてみたら「そうなんだ、話してくれてありがとう」と、とても寛容な返答をもらえたのを覚えています。
それでも周囲の目は気になるわけで……。
その当時、「自分は女性ではない」と強く確信していたので女性同士のカップルとしては見られたくなくて、自分らしさを押し込めてあえて男性らしく振る舞おうとしていました。
今思うと痛々しくて本当に何やってんだ……という感じなのですが。
もはや黒歴史ですね。
それからというものの、パス度(外見を心の性別に近付けること)をいかに上げられるかということに執着し、パス度が高いことやどこまで社会的に男性だと認められるかがステータスだと感じては、自分を追い詰めることとなりました。
パス度がそれなりに高まってきて周囲からも一見男性だと思われることが増えてくると、意外なことに友人や職場の人は性別に関して何も聞いてはこないのです。
なんとなく察してくれている感じ、というか。
自分も積極的に自分自身のことを話す方ではないのでそれはそれで有難かったのですが、いやでも直接聞いてくれたら全然話すのになぁ……という複雑な思いでした。
素直にXジェンダーだと認められない葛藤
それまで男女二元論の思考をしてきたので、Xジェンダーという言葉を知ってもすぐには自分がそれだとは受け入れられませんでした。
男性か女性かというこの二択に強くこだわってしまっていたのです。
社会的に男性として認められることがステータスだと思ってるわけですから、そこに至れないというのはある種の屈辱さえ感じていました。
男性にも女性にもなりきれない中途半端な自分への自己嫌悪を強くありました。
男性ならばこうあるべきだ、女性的な物を好むのは恥ずかしいことだ、などとジェンダーに対する偏見がひどかったなぁと今では思います。
つまりその当時、誰よりも一番性別にとらわれていたのは自分だったんですよね。
周囲の人々は意外にもあっさり受け入れてくれていました。(他人事だからというのもあるかもしれませんが)
今ではどうあがいても自分は自分なのだし、こんな風に生まれた自分だからこそ伝えられることだったり、男性でも女性でもない第三の性という生き方もあるよ、と示せたりもするのかなと思えてきています。
自分のように、本来きちんと理解しておいた方がいいセクマイ当事者でも、ジェンダーに偏見を抱いている方は少なくないと思います。
今後もセクマイについて学びながら、一人でも多くの人に何か伝えられたらという心持ちで発信していくので、何卒よろしくお願い致します。
それでは。