Xジェンダーとして生きていく。

Xジェンダー当事者としてセクマイについてのお話を綴っていきます。

性別に偏見を持ってたのは自分だったっていう話。

 

こんにちは、ふたおです。

 

この頃、実験的にYouTubeに動画をあげてみてるのですが、どうにも喋るのが得意でなさ過ぎて……。

こうして文字に起こす方がまだ性に合ってるのかなぁと思いつつあります。

 

でも映像の方が伝わりやすいこともあるかと思うので、動画の方ももう少し継続していく所存です。

 

更新ペースはゆっくりになると思いますが、YouTubeの方も何卒よろしくお願い致します。

https://m.youtube.com/channel/UCzDyGY6cauS6YbJjdDDF2Rw

 

 

 

 

性別にとらわれたくないvs性別を気にしてしまう

前回の記事にも書いたことですが、男性らしくでも女性らしくでも中性らしくでもなく、一番は自分らしくありたいと思っています。

 

まぁ、性別という枠組みに仕分けられるのめんどくさーという感覚が強いのですが。

 

ただ、今でこそいい意味で諦めがついたというか開き直ったというか、性別なんて何でもいいやというスタンスではありますが、昔はそうもいかなかったのです。

むしろ人一倍、性別にこだわっていた部分が強かったなぁと思います。

 

特に学生時代は思春期ということもあり、そういうことに敏感になっていました。

 

男性か女性かの二択しか知らなかった頃なので仕方ないとは思いますが、女性ではないけれどそこまで男性になりたいわけでもない、という宙ぶらりんな状態だったので今振り返ると結構しんどかったなぁ……と。

 

「恋愛に性別なんて関係ないじゃないか!」と口先では言いながら、実は自分も性別が気になってしまっていたのだと思います。

 

元々の性格が引っ込み思案ということもあり、周りからどう見られているか、どうしたら変に思われないか、と周囲からの視線をいつも気にして自分らしくは全く振る舞えていませんでした。

とりあえず無難に済ませたくて、周りから女子として見られているのならその通りに生きていこうと考えたこともありました。

 

 

カミングアウトをしてみて

人生で最初にカミングアウトしたのは、高校時代にお付き合いした恋人でした。

かなりの緊張感を覚えながらも勇気を出して伝えてみたら「そうなんだ、話してくれてありがとう」と、とても寛容な返答をもらえたのを覚えています。

 

それでも周囲の目は気になるわけで……。

その当時、「自分は女性ではない」と強く確信していたので女性同士のカップルとしては見られたくなくて、自分らしさを押し込めてあえて男性らしく振る舞おうとしていました。

 

今思うと痛々しくて本当に何やってんだ……という感じなのですが。

もはや黒歴史ですね。

 

それからというものの、パス度(外見を心の性別に近付けること)をいかに上げられるかということに執着し、パス度が高いことやどこまで社会的に男性だと認められるかがステータスだと感じては、自分を追い詰めることとなりました。

 

パス度がそれなりに高まってきて周囲からも一見男性だと思われることが増えてくると、意外なことに友人や職場の人は性別に関して何も聞いてはこないのです。

なんとなく察してくれている感じ、というか。

自分も積極的に自分自身のことを話す方ではないのでそれはそれで有難かったのですが、いやでも直接聞いてくれたら全然話すのになぁ……という複雑な思いでした。

 

 

素直にXジェンダーだと認められない葛藤

それまで男女二元論の思考をしてきたので、Xジェンダーという言葉を知ってもすぐには自分がそれだとは受け入れられませんでした。

男性か女性かというこの二択に強くこだわってしまっていたのです。

 

社会的に男性として認められることがステータスだと思ってるわけですから、そこに至れないというのはある種の屈辱さえ感じていました。

 

男性にも女性にもなりきれない中途半端な自分への自己嫌悪を強くありました。

 

男性ならばこうあるべきだ、女性的な物を好むのは恥ずかしいことだ、などとジェンダーに対する偏見がひどかったなぁと今では思います。

 

つまりその当時、誰よりも一番性別にとらわれていたのは自分だったんですよね。

 

周囲の人々は意外にもあっさり受け入れてくれていました。(他人事だからというのもあるかもしれませんが)

 

 

今ではどうあがいても自分は自分なのだし、こんな風に生まれた自分だからこそ伝えられることだったり、男性でも女性でもない第三の性という生き方もあるよ、と示せたりもするのかなと思えてきています。

 

自分のように、本来きちんと理解しておいた方がいいセクマイ当事者でも、ジェンダーに偏見を抱いている方は少なくないと思います。

 

今後もセクマイについて学びながら、一人でも多くの人に何か伝えられたらという心持ちで発信していくので、何卒よろしくお願い致します。

 

 

それでは。

 

 

生まれたままの姿でXジェンダーとして生きていく

 

こんにちは、ふたおです。

 

 

久々の更新になってしまいました。

 

そもそもブログなんてそういうものなのでしょうが、今回は特に個人的に思っていること。

というよりも、ある種の決意のようなものを綴っていきたいと思います。

 

 

女性的な名前への嫌悪感を払拭できた理由

昔から自分の本名が嫌いでした。

あからさまに女性的な名前だからです。

幼い頃から中性的な名前に憧れていたし、改名したいとも強く思っていました。

 

しかし改名に踏み切れなかったのは、少なからずこの名前に思い入れがあるのと、家族や友人など大切な人達がこの名前で呼んでくれるからです。

 

その結果、女性的であるこの名前を手放すことが出来ませんでした。

 

しかし今ではずっとこの名前と共に生きていくんだろうな、と思っています。

 

それは、きっと時代が変われば名前のジェンダー観なんて変わるものだ、という考えにたどり着けたからです。

 

近頃の子どもたちは、一昔前では女の子に付けられていたような名前が男の子に付けられていたり、中性的な名前が増えてきたりと、名前におけるジェンダーの境界線が曖昧になってきているように感じます。

 

極端な例ですが、歴史上の人物である「小野妹子」は妹も子も女性的な字ですが、男性の名前として使われています。

 

その当時、この名前についてどう思われていたかは分かりませんが、時代が変わるとともに世間の名前に対するジェンダー観も変わっていってるのではないかと思うのです。

 

ということは、自分の女性的なこの名前も100年後には男の子に付けられている、なんてことも有り得るはずです。

 

今はXジェンダーとして活動する上で「ふたお」と名乗ってはいますが、ゆくゆくは本名のままでXジェンダーとして活動していけたら、それが一番自分らしく生きられる道なのかなとも思っています。

 

 

身体も戸籍も女性だけどそれでいい

実は自分の女性的な身体を受け入れられるようになったのは、ここ半年ほどのことです。

それまでは、とりあえず胸の切除だけはして中性的な身体になりたいと考えていました。

 

昔は男性器に憧れていた時期もあったけれど、それは今ではまったくありません。

かと言って、そこまで女性的な身体を気に入ってるというわけでもない。

 

やっぱり男性でも女性でもなく、性別を感じないフラットな状態が自分にとってのベストなのです。

 

そんな自分が、どうしてオペやホルモン療法で中性的な身体に近づけようとしないのか。

 

どうして今のままでいい、身体も戸籍も名前も女性のままでいいと思えるようになったのか。

 

それには、ありのままの自分を受け入れてくれた恋人の存在がとても大きいです。

 

性別なんて関係ない、あなたはあなた。

そう心から想ってくれているのが、接してくれる度に、言葉の端々に、ひしひしと感じます。

 

そのような想いのおかげで、自分は性別という枠組みのもどかしさからだいぶ解放されました。

 

自分が女性の身体でも、オペをして中性や男性になっても、きっと今までと変わらず愛してくれるのだろうなと思えます。

 

恋人に限らずですが、自分がどんな性別であれ受け入れてくれて愛してくれる人がいる、ということは心からの安心に繋がります

 

自分は今のままでいいんだ、と感じさせてくれる存在に巡り会えたことに、ただただ感謝です。

 

 

Xジェンダーとして生まれたという使命感

「身体を中性的にしてこそXジェンダーだ」と叫ぶ方もいますが、自分はそうは思いません。

 

男性らしくでも女性らしくでも中性らしくでもなく、結局は自分らしくいられればそれでいいと思っています。

 

これはあくまで個人的に思ってることなので、この考え方を誰かに押し付けたり強制するつもりはありません。

 

自分の場合、真の意味で性別に囚われていたくないだけなのです。

 

Xジェンダーだから中性的でなければならない」というのは、ある意味で性別に囚われてると言えるのだと思います。

 

ジェンダーには揺らぎがあってもいいし、迷いがあってもいいし、あえて決めなくてもいい。

男性でも女性でもないからといって、第三の性別にこだわる必要もない。

 

今ではこんな風に生まれた自分だからこそ出来ることが必ずあるはずだ、とちょっとした使命感さえ感じています。

 

これからを担う若い子達のためにも、身体が中性的でなくてもXジェンダーとして生きる道を作っておきたい。

 

まずは一人でも多くの人々にXジェンダーという存在を知ってもらうこと。

 

そうして一人でも多くの性別違和について悩んでいる人の心が軽くなったらいいなと思ってます。

 

 

というわけで、今のところオペやホルモン療法をするつもりもないし、名前や戸籍を変更するつもりもありません。

(根が気まぐれなので今後気が変わることは大いにありえますが…)

 

今現在の自分としては、女性の身体のままXジェンダーとしての生き方を確立していきたい、と思っています。

 

 

それでは。

 

Xジェンダーの一人称は自分?私?僕?

 

こんにちは、ふたおです。

 

 

今回も再びXジェンダーあるあるなお話です。

正確なデータをとっているわけではないのであくまで個人的な思いですが、何かしらの気付きや共感を抱いてもらえたら幸いです。

 

 

自分の場合の一人称

このブログでも散々書いてきていますが自分の場合、一人称は主に「自分」です。

口にする時もこうして文字に起こす時もそう。

 

理由としては、男女性をまとっていないプレーンな感じがするから、ですかね。

 

思春期の頃や自分自身をトランスジェンダーだと自認していた頃は、「俺」「僕」「おいら」などを使用していた時期もありました。

 

自分はたぶんトランスジェンダーじゃないんだな、と薄々感じ始めてから徐々に「自分」に移行したような気がします。

 

ただ、「自分」を使うのはプライベートな場面がほとんどで、仕事などのかしこまった場面では「私」を使用することもあります。

 

10代の頃は「私=女性の一人称」という意識が強く、自ら使用するのにはどうしても抵抗を感じていましたが、社会人になってからは「私=男女差のないフォーマルな一人称」という意識に変わっていったため、進んで使用できるようになりました。

 

逆に今では「俺」や「僕」は、男性性を強く感じるため、自分にはなんだかしっくりこないなぁと思っています。

 

と同時に、Xジェンダーであるということを周囲へ発信していくためにも「自分」という一人称を積極的に使用していきたいとも考えています。

 

 

英語の一人称&三人称

自分の場合は今のところ「自分」が一番使いやすいのですが、人によってはどの一人称もしっくりこないという方もいると思います。

 

その理由は、日本語における一人称がかなりバラエティーに富んでいることが挙げられるかもしれません。

 

日本語では一人称だけで男女の違いはもちろん、年齢層や方言などによっては地域性まで印象づけることができます。

 

その点、英語での一人称は「I」のみなのです。

どんな性別であろうとどんな年齢層であろうと、英語での一人称は「I」しかないのです。

 

そう考えるとジェンダーレスな一人称はかなり羨ましいのですが、英語の場合は三人称が問題になってきますね。

 

彼を表すhe、彼女を表すshe、と、誰かから呼ばれる時にどうしても男女差を突き付けられるのです。

 

しかしここ最近では、彼らを表すtheyが「あの人」という意味合いで使われたり、彼・彼らを表すguysが男女関係なく使われるようになってきているようですね。

英語圏の性別違和を抱える人とっては、だいぶ生きやすくなってきているのではないでしょうか。

 

 

その他外国語における男女差

英語は比較的ジェンダーレスな言語だと思いますが、反対に男女差をより強く感じてしまう外国語もあります。

 

一人称の話からは少し脱線しますが、たとえばドイツ語には男性名詞、女性名詞、中性名詞が存在します。

 

ヨーロッパの言語では人物だけでなく、物などの名詞にも男性、女性、中性、と性別が割り当てられていることが多いのです。

 

それから、英語同様に三人称における男女差はもちろん、目の前の相手に対して「あなたは日本人ですか?」と尋ねる場合にも、相手の性別によって「日本人(男性)」「日本人(女性)」という区分けが存在したりもします。

 

(外国語にはかなり弱い方なので、あくまで自分が知っている限りの話になります。ご了承ください……)

 

日本語では「あなた」や「あの人」で済むことも、外国語だと見た目の性別で男性形か女性形かと使い分けられてしまうのです。

 

その国の伝統や文化もあるので仕方ないことなのでしょうが、性別違和を抱える人にとってはことごとく男性か女性かと問われるわけなので苦労も多いのだろうなと思います。

 

そういう意味では、日本語の曖昧さに救われてる部分も多いなと個人的には感じています。

 

 

やはりフォーマルな場には「私」が相応しいのかなと思いますが、結果的に自分がしっくりくるのであれば一人称なんて何でもいいと思っています。

日本語における一人称はとても種類が豊富です。

この性別だからこの一人称を使うのが正解だなんてことはありません。

みんなが身体や容姿に関係なく、周囲の目を気にすることもなく、自分らしさを感じられる一人称を使える社会であってほしいですね。

 

 

それでは。

 

Xジェンダーにとっての異性・同性

 

こんにちは、ふたおです。

 

 

男性からすると女性は異性で、男性が同性ですよね。

その逆もまた然り。

 

では、Xジェンダーにとって異性とは、また同性とはどんな人を指すのでしょうか。

 

これに関しては同じXジェンダーであっても人によって考え方が全然違うので、あくまで個人的に思うことをつらつらと書いていきます。

 

 

結局のところ、男性も女性も「異性」

はい、結論です。以上。

 

……と、これだけで終わるのはさすがにどうかと思うので、少し説明をさせてください。

 

一般的にシスジェンダー(身体と心の性別が一致している人)からすると、男性の反対は女性で、女性の反対は男性、すなわち異性なわけです。

しかし、男性にも女性にも当てはまらないXジェンダーの自分からすると、男女のどちらも自分とは異なる性別の人だと感じるのです。

 

自分の場合は身体が女性のためか、どちらかと言うと男性よりも女性の方が親近感を抱きやすいです。

そのため女性の友人の方が多いので、自分の性別についてカミングアウトしてる友人からも、いわゆる女子会に誘われたりします。

本人は悪気などなく善意で誘ってくれているのは分かるのですが、そういう場面に出くわす度に、

「自分は女性ではないんだけどなぁ」

「女性じゃない自分がここにいていいのだろうか」

とモヤモヤするのです。

 

扱われたい性別で扱ってもらえないモヤモヤとした思いは、性別違和を抱える人の多くに共通していることだと思います。

 

男性も女性も一人の人間として見ているので、異性だと感じる度合いにあまり差異はありませんが、個人的に男性は未知の領域です。

自分自身が身体も心も男性ではないので、女性に比べると男性は共感できる部分が少ないように感じます。

 

男性に共感できる点としては、自分はパンセクシャル(すべての性別の人を好きになる恋愛指向)寄りの女性愛者なので、恋愛対象が女性であるという点においては男性の気持ちに共感することが多いですね。

 

もちろん趣味などでは性別問わず共感できますよ。

 

ただ、自分の身体が女性であるということを踏まえて言えば、どちらかというと女性の方が理解してあげられる場合が多いです。

異性ということに変わりはありませんが。

 

 

自分にとっての「同性」とは

これもあくまで自分の場合ですが、男性も女性も異性なので、第三の性であるXジェンダーの人が同性になります。

それも、自分と同じく男性でも女性でもない「無性」の人だけが同性だと思っています。

 

無性の人にはそもそも性別という概念がないという特徴があるので、その点で中性・両性・不定性の人と自分は違うなぁと感じます。

 

Xジェンダーについての詳細はこちらの記事をご覧ください。

ところで「Xジェンダー」って何? - セクマイ&うつ病の徒然記。

 

男性にも女性にも当てはまらない第三の性というところでは同じであっても、性別という概念がある時点で自分からすると異性なのです。

ここでは身体の性別も恋愛指向も問いません。

性自認が「無性」の人であれば同性だということです。

 

ここで「性別の概念がないってどういうこと?」と思った方もいるでしょうから、少し説明してみますね。

 

自分の中には女性らしさも男性らしさも存在していないし、それを欲してもいないのです。

性別のないプレーンなただの人間という状態。

身体の性別という差はあれど、「性別ってそんなに重要なことかなぁ、どうしてみんな性別にこだわるんだろうなぁ」と日々思っています。

……えーと、全然上手く説明できた気がしないので、この件に関してはまた後日改めてお話させてください。

 

ただ、Xジェンダーの中でも無性の人ってあまりいないのです。(気のせいだといいな)

なので同性に出会うのがとても難しい、というのが悩みどころです。

 

何度も言うようですが、Xジェンダーの人が全員このような価値観だとは思わないでくださいね。

人類みな同性だと考える人もいれば、同性なんて存在しないと考える人もいるからです。

 

 

余談:レズビアンBARに行ってみた。

一年前、生まれて初めてレズビアンBARに足を運んでみました。

性自認が「無性」である自分が、わざわざ「女性」の集うレズビアンBARに出向いたわけは単純。

彼女が欲しかったからです。

 

ある夜、ふと「彼女が欲しいならとりあえずレズビアンBARに行ってみるか」と思い立ち、セクマイ界隈の友達がいなかった自分は一人ぼっちでそのドアをくぐりました。

 

そして、カウンターの席について30分経たないうちに、

「あ……自分の居場所はここじゃないな」

と悟りました。

 

BARの雰囲気が自分に合わなかったというのも考えられますが、どうしても「ボーイッシュな女性」として扱われることが耐えられなかったのです。

 

身体が女性で恋愛対象も女性であることから同性愛者と見られがちなのですが、女性を同性だと思ったことはありません。

かと言って、男性も同性だとは思えない。

 

と、まぁ自分の異性観・同性観はこんな感じです。

 

 

ちなみに、そのBARではそれなりに楽しい会話ができましたが、その後に繋がるような出会いはありませんでしたとさ。

 

それでは。

 

 

第三の性と、男女二元性のお話

 

こんにちは、ふたおです。

 

「第三の性」

と聞いて、皆さんは何のことかピンとくるでしょうか。

Xジェンダーの別称、と言ってもいいかもしれません。

というわけで、今回は「第三の性」である自分が日常生活で感じる、男女二元制によってモヤッとすることなどのお話です。

Xジェンダーあるある、みたいなものですね。

 

 

性別記入欄って必要?

我々Xジェンダーは、男性とも女性ともハッキリとは区別できない性別です。

そのため、日常生活において生じる問題も山積みです。

 

たとえば、履歴書や公的書類での性別記入欄

自分の場合は渋々ではありますが、ここはもう仕方がないこととして割り切って、身体の性別で記入することにしています。

しかし、Xジェンダー当事者からするとモヤモヤすることランキングの上位に入る案件だと思います。

 

最近は特にネット上において、記入欄に「未回答」「その他」「どちらでもない」という選択肢も増えてきて、多様なジェンダーを認めようという社会になりつつあるのかなと感じます。

ですが、やはり公的な書類になればなるほど、男性か女性かということを改めて突きつけられるのです。

 

履歴書などに「男・女」とある場合、あえて「・」に丸をつける人も多いようですね。

しかしそれは、まだよく知らない初対面の人にカミングアウトすることになるわけですから、相当な勇気がいることです。

書類上において、男性か女性かということがそんなに重要なのか、かなり疑問です。

 

 

外出先でのトイレ問題

こちらもかなりモヤモヤする案件ですね。

これに関しては、トラブルを起こさないためにも身体の性別に従っている人が多い印象です。

男性が「心は女性だ」と偽って女子トイレに侵入した、とニュースで騒がれたこともありましたからね。

 

そう言うと「多目的トイレに入ればいいのでは?」という声も多く聞きます。

あくまで自分の場合としてお話しますが、自分が多目的トイレに入ることで車椅子の方や身体にハンデのある方が使用できなくなってしまうと思うと、なんとなく躊躇してしまうのです。

 

性別の問題ならば自分の中で折り合いをつけて、グッと我慢できたら、一応は難なく済ませられることです。

しかし、身体にハンデがある方は多目的トイレしか使用できないのです。

 

そのような方が並んでいないならササッと済ませて出れば問題ないのでしょうが、多目的トイレに入る時の周りの目が気になるという人も多いと思います。

身体と心の性別にギャップがあるとは言えど、周囲の人からは身体的に何のハンデもないように見えるでしょうからね。

 

そのため、男女兼用トイレや、レインボーマークが記載されている多目的トイレは、ストレスフリーに入れてありがたいです。

 

 

そもそも「第三の性」は理解されにくい

ここ15年ほどでFtMMtFといったトランスジェンダーは世間における認知度が高まってきました。

そのため、第三の性であるXジェンダーに比べるとトランスジェンダーは周囲の理解が得られやすい気がします。

誤解しないでほしいのですが、トランスジェンダーの人も様々な問題を抱えているので、決してトランスジェンダーの方が楽だと言いたいわけではありません。

あくまで社会における認知度、理解度の話です。

 

昔に比べると多様性が認められる社会になってきてはいますが、男性でも女性でもない「第三の性」の存在があることを知らない人が多いのも事実です。

男女二元制が当たり前だとして生きてきた人からすると、その存在をすぐには受け入れられないのも当然かもしれません。

 

これは個人的な見解であり、ちょっと意外な話かもしれませんが、一般的なシスジェンダー(身体と心の性別が一致している人)よりもトランスジェンダーのほうが男女二元論の意識が強いように感じます。

 

おそらく、シスジェンダーの人は「第三の性」の存在を知らないだけなのに対して、トランスジェンダーの人は身体と心の性別が真逆なので「第三の性」を知りつつも男性か女性かハッキリしたい、という気持ちが強くなってしまうのだと思います。

 

 

男女二元制は淘汰されていく?

先ほどもお話した通り、今の社会では「第三の性」の存在を知らない、または理解しがたい人の方が多いです。

しかしそれは、ただ単によく知らないだけなのです。

 

セクシャルマイノリティーの知識がない人が「もしかすると自分はシスジェンダーじゃないかも?」という考えに至ることはほとんどないでしょう。

なんとなく生きづらさを感じていながらも、自分がシスジェンダーではないと気付いていないだけ、という人も実は一定数いるのでは、と個人的には思います。

「第三の性」という存在の認知度が高まることで初めて自分事として考える人も出てくるのでしょう。

 

自分の心の性別について考えたことはありますか?

自分は男性または女性だと確信をもって言えますか?

男女二元制によって生きづらさを感じていませんか?

 

性別は男性か女性かの二通りだけではありません。

それに「第三の性」といっても様々な人がいます。

人の数だけ性別がある。それこそ十人十色であり、そこには境界線も存在しない、まさにレインボーなのです。

「第三の性」の大まかなタイプについては、Xジェンダーについて解説した記事をご覧ください。

ところで「Xジェンダー」って何? - セクマイ&うつ病の徒然記。

 

「第三の性」の認知度が広まることで心の性別を自由に選べる社会になって、性別による生きづらさを感じる人が少なくなれば、と願っています。

個人的には、遅かれ早かれいずれそういう時代がくると確信的に思っています。

 

それでは。

 

読書メモ『嫌なこと、全部やめても生きられる/プロ奢ラレヤー』

 

こんにちは、ふたおです。

 

今回は、今まで取り上げてきたジェンダーのお話からは一旦離れて、読書メモという名の備忘録です。

この本を読んで特に感銘を受けた言葉だったり、それを受けて感じたこと考えたことなどをまとめていこうと思います。

そうです。完全に自分用です、はい。

 

 

著者の「プロ奢ラレヤー」って?

プロ奢ラレヤー(以下、プロ奢)の存在を知ったのは、自分がTwitterからしばらく離れていたんだけれども、とあるきっかけでTwitterにふらっと戻ってきた時。

たしか、2019年の年明けくらいだったかな。

 

まず名前からして何者なんだ感が半端ない。

Twitterのタイムラインでちょくちょくリツイートを見掛けるようになって、「この人は一体何者なんだ?」と思いながら読んでみると、ことごとく核心を突いてくるような内容だったので、もっと話を聞きたいと思って自分もフォローしました。

 

プロ奢ラレヤー

・職業「プロの奢られ屋」

Twitterのフォロワー9万人以上

・奢られ実績、累計2000人以上

 

本のそでに載っていた著者プロフィールを丸写し。

 

どんな中傷や問題事も「ウケる」で一蹴します。

実際にプロ奢がどんな人間なのかは、TwitterYouTubeやnote、そしてこの本を通して知ってほしいです。

 

 

第一章 お金とか、仕事とかの話。

まずは「お金」について書かれた一文。

「お金よりも時間論」が有効なのは、資源を最大化させることに長けた資本家だけ

これだけ聞くと、

「特に資源を持たない自分は時給制の仕事をするしかないのか……」

と、なんとなく悲観的に思うかもしれませんが、プロ奢はそうではなくて、みんながみんな資本家の考え方に合わせなくてもいい、ということを言っているのです。

資本家というのは数字を増やしていく「ゲーム」が好きなだけだから、そこに特に興味がないなら違うゲームをしたらいい、と。

 

これだけだと皮肉っぽく聞こえるかもしれませんが、このテーマでプロ奢が言っているのは、無理して時間をお金で買ったり頑張って稼がなくても贅沢は十分出来るよね、ということです。

お金をかけずに幸せを感じられること、楽しめることってたくさんありますよね。

「お金」と「時間」と「幸福感」のお話です。

 

自分も「お金<時間」という思考が大切なんだと考えていた一人なので、このプロ奢の言葉で「あぁ、自分は別に資本家になりたいわけじゃないなぁ」と気付くことができました。

 

 

次に「仕事」について。

嫌なことをしたりストレスのかかることをして、その対価としてお金を貰うような労働は、結果的には儲かりません。

これはもうおっしゃる通り。

まるっと同意です。

 

嫌なことを我慢しながら働く→ストレスが溜まる→ストレス回避や発散のためにお金を使う→結果的には儲からない、という流れになってしまうのです。

 

たとえば、1000円の収益があったとしても働く上で何かを我慢しているのだとしたら、ストレス回避のために満員電車ではなくタクシーに乗ったり、ストレス発散のために散財したりするわけです。

そうすると、結果的には500円しか儲かっていないということもありえるのです。

 

「お金」の話にも通じることですが、

無理をしてまで稼がなくても今の日本ではそう簡単に死なないし、お金がたんまりあったとしてもいずれ死ぬ時は死ぬ。だからこそ、必要最低限なお金だけ稼いで、嫌なことからはなるべく逃げてみたら?、とプロ奢は語っています。

 

この本を通してのテーマは、後の第二章で出てくる言葉ですが、

「好きなことで、生きていく」より

「嫌いなことで、生きてかない」ほうが大事

ということです。

人生でかなりのウェイトを占める「仕事」において、この考え方はかなり重要になってくると思います。

 

 

第二章 人生とか、ライフハック的な何か。

この章は、個人的に刺さる部分が多過ぎて、どの言葉をピックアップするかとても悩みました。

その中でも特に具体的な方法を挙げてくれていたので、それを一つご紹介しますね。

 

それは「しょうがないリスト」というものです。

 

早い話がどうにもならないことはさっさと諦めて、しょうがないリストに入れましょうということです。

「しょうがないリスト」があると、できなくても落ち込みません。

「あ〜、これはしょうがないリスト入りのやつだから仕方ないわ〜」と思えます。「遅刻しちゃったけどしょうがないリストだから、しょうがないか」と気持ちを切り替えられるわけです。

いくら自分が「やりたい、出来るようになりたい」と思うことでも、それが「出来ないこと」なら一刻も早く諦めて気持ちを切り替えた方がいいというのです。

それに、しょうがないリストを作ることで、自分にとっての「やりたいこと」「出来ること」が明確になってくる、と。

 

どうですか、この考え方。

「やりたいのにどう頑張っても出来ない」というマイナスな思考を、「しょうがない」の一言で済ませちゃっていいんだ……と、個人的にはすごく斬新に感じました。

 

自分は生まれ持った気質なのでしょうが「周りの人は当たり前のように出来ているのに、どうして自分は出来ないんだろう」と、出来ない自分を責めてばかりいました。

 

それを止めるためにも、しょうがないリスト、自分も早速作ってみようと思います。

 

それから先ほども触れましたが、この本の核となる言葉。

「好きなことで、生きていく」より

「嫌いなことで、生きてかない」ほうが大事

この言葉に、この本でプロ奢が伝えたいことが集約されていると思います。

タイトルの『嫌なこと、全部やめても生きられる』がまさしくそうですね。

 

今の世の中、みんなして自分の好きなことで生きていこうと躍起になっているように感じます。

自分もそうありたい人間なので、気持ちはよく分かります。

ですが、このプロ奢の考え方を知ってから、そういう生き方も悪くないかも……と考え始めました。

好きなことを貫くことも、それはそれで美学を感じるので素晴らしいと思いますが、「嫌いじゃなくて得意なこと」にリソースを割いて、余った時間で好きなことを楽しめばいい、と考えた方が選択肢の幅が広がると思いませんか?

 

この第二章は、特に何回も読み込んで自分の考え方をアップデートしたいと思いました。

 

 

第三章 メンタルとか、人間関係とか。

Twitterでも呟いたのですが、自分は18〜22才まで、人生の暗黒期でした。

そんな時期にお守り代わりとして大切にずっと胸にしまっていた、喜劇王チャールズ・チャップリンの言葉。

それとほぼ同じ言葉が、この章で出てきました。

「すべての問題は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」

この言葉を見た瞬間、ハッとしました。

暗黒期から10年近くの月日が流れ、今となってはすっかり忘れていた言葉でした。

あの頃は毎日が悲劇としか思えませんでしたが、今振り返ってみると、たしかに喜劇です。

むしろネタと言ってもいいかもしれませんw

 

さらに、ここでプロ奢は、今抱えている問題の解決方法において重要な考え方も教えてくれています。

「遠い昔に解決したもの」として「当時持っていたものからどうやって解決したんだっけ」と未来からの視点で考えると、急に視界が開けてきます。

この考え方、別の方の書籍で読んだことがあるのですが、これもすっかり忘れていました。

問題に直面している時、自分事となるとなかなか客観視できないものです。

「他者の視点」で「遠くから見る」ことで、その問題を他人事として捉え、そこで初めて客観的な答えを導き出せるのです。

 

 

感想

この本を読んで感じたこと、考えたことは山ほどあるのですが、一言でまとめるなら、

皆さんぜひ一読してみてください。

(決して回し者ではありません。)

 

これからの時代を生き抜くには、プロ奢のような考え方が大切になってくるんでしょうね。

 

この本を読んだら、だんだん少しずつ、

『嫌なこと、全部やめても生きられる』

かも……?と思えるかもしれません。

 

 

最後まで読んでくれたあなたの人生が、嫌なことなど何もないストレスフリーにものになりますように。

 

それでは。

 

ところで「Xジェンダー」って何?

 

こんにちは、ふたおです。

 

これまで自分自身の性別について、男でも女でもないXジェンダーだと散々お話してきましたが、そもそもXジェンダーとは一体何なのだろう?というところに立ち返ってみたいと思います。

 

 

Xジェンダーの基礎知識

ジェンダーの知識がない方にも少しでも理解して頂けるように、基本的な知識をお伝えしたいと思います。

 

身体が男性で心の性別が男女どちらでもない人をMtX(Male to X)

身体が女性の場合はFtX(Female to X)と表します。

 

身体の性別をなるべく意識したくない、という方は性別を表す時にMtXやFtXという表記は使用せずに、ただ「Xジェンダー」というワードを使用している方も多いですね。

 

ちなみに、自分もその一人です。

 

FtXという表記だと、どうしても身体が女性であることを意識してしまうので、なるべく「Xジェンダー」として、身体の性別を気にしないような形で名乗っています。

(身体の性別を聞かれたらふつうにお答えはします。そこまで嫌悪感みたいなものはないので。)

 

 

Xジェンダーにも4タイプある

そうなんです。

一口にXジェンダーといっても、様々な方が存在しています。

大まかには4つのタイプに分類されます。

 

  • 中性:男性と女性の中間である
  • 両性:男性でもあるし女性でもある
  • 無性:男性でも女性でもない
  • 不定性(流動性):その時々の感覚やその場の状況や接する相手によって、男性だったり女性だったりどちらでもなかったりする

 

自分はこの中でいうと、男性でも女性でもないという「無性」に当てはまります。

こればっかりは当事者の感覚によるものなので、当事者以外は理解し難いかもしれませんね。

 

自分の場合は、身体が女性だということに強い違和感を覚えつつも、だからと言って男性として扱われることにもしっくりこないのです。

だからといって、不定性のように変動することはないので「無性」というセクシャリティーを確信しています。

 

 

自分自身の「無性」について

前回のブログで、自分がXジェンダーだと自覚するに至った経緯についてお話しました。

Xジェンダーだと自認するまで - セクマイ&うつ病の徒然記。

 

最初はトランスジェンダー(FtM)なのかな、と思っていた時期もありましたが、紆余曲折ありましてXジェンダーに辿り着きました。

 

その中でも、4つのタイプがある中で自分はどうして「無性」なのか。

 

まず、自分は女性ではないという感覚が常にありました。

なので、女性要素を持ち合わせている「中性」「両性」「不定性」が除外されました。

早い話が消去法ですね。

昔も今も、女性でありたいと思うことは一切ありません。

かと言って、男性としてありたいかと問われるとそれも違和感がある。

 

例えるなら、男か女かに囚われることのない、プレーンな状態の人間でいたいのです。

 

自分の場合はそういう理由からXジェンダーの「無性」を名乗っています。

 

 

不定性(流動性)の理解され辛さ

さて、この4つのタイプで一般層に理解され難いのは、不定性(流動性)の方だろうなと思います。

 

自分のセクシャリティーが固定されていたら、周囲の人達もそれなりに配慮してくれるだろうと思うのですが、その時々でセクシャリティーが変わる不定性の方は周囲の人からすると、

「今は一人称が俺だから男性なのかな?」

「今日はフェミニンな格好してるから女性なのかな?」

と、性別が定まっていないがゆえに接し方に戸惑いを覚えてしまうのでしょうね。

 

Twitterなどを見ていても、Xジェンダーの方で性別について悩んでいる方は不定性の方が多いように感じます。

(あくまで個人的な見解ですが。)

 

 

多様性が求められる時代

現代の先進国では、LGBTQ全体にも言えることですが、Xジェンダーにも多様性が求められています。

 

おそらく時代とともに男女二元論は淘汰されていくのだろうなと感じます。

 

今後Xジェンダーが「男女に当てはまらない第三の性」として一般層にもっと認知されたらいいなぁと思いますし、そのための活動をしていきたいな、どんな方法があるかな、と日々考えています。

 

例としては、Xジェンダー当事者を集めてオンライン交流会が出来たらいいなぁと思っているのですが、具体的に企画できたら改めて告知させてもらいますね。

 

ジェンダーに関する質問や、個人的な質問も受け付けてますので、こちらのコメントやTwitterの質問箱から投げてくれると嬉しいです!

 

 

今回は比較的さらっとした基本的な内容になりましたが、Xジェンダーについて理解を深めるきっかけになれたら幸いです。

 

それでは。