生まれたままの姿でXジェンダーとして生きていく
こんにちは、ふたおです。
久々の更新になってしまいました。
そもそもブログなんてそういうものなのでしょうが、今回は特に個人的に思っていること。
というよりも、ある種の決意のようなものを綴っていきたいと思います。
女性的な名前への嫌悪感を払拭できた理由
昔から自分の本名が嫌いでした。
あからさまに女性的な名前だからです。
幼い頃から中性的な名前に憧れていたし、改名したいとも強く思っていました。
しかし改名に踏み切れなかったのは、少なからずこの名前に思い入れがあるのと、家族や友人など大切な人達がこの名前で呼んでくれるからです。
その結果、女性的であるこの名前を手放すことが出来ませんでした。
しかし今ではずっとこの名前と共に生きていくんだろうな、と思っています。
それは、きっと時代が変われば名前のジェンダー観なんて変わるものだ、という考えにたどり着けたからです。
近頃の子どもたちは、一昔前では女の子に付けられていたような名前が男の子に付けられていたり、中性的な名前が増えてきたりと、名前におけるジェンダーの境界線が曖昧になってきているように感じます。
極端な例ですが、歴史上の人物である「小野妹子」は妹も子も女性的な字ですが、男性の名前として使われています。
その当時、この名前についてどう思われていたかは分かりませんが、時代が変わるとともに世間の名前に対するジェンダー観も変わっていってるのではないかと思うのです。
ということは、自分の女性的なこの名前も100年後には男の子に付けられている、なんてことも有り得るはずです。
今はXジェンダーとして活動する上で「ふたお」と名乗ってはいますが、ゆくゆくは本名のままでXジェンダーとして活動していけたら、それが一番自分らしく生きられる道なのかなとも思っています。
身体も戸籍も女性だけどそれでいい
実は自分の女性的な身体を受け入れられるようになったのは、ここ半年ほどのことです。
それまでは、とりあえず胸の切除だけはして中性的な身体になりたいと考えていました。
昔は男性器に憧れていた時期もあったけれど、それは今ではまったくありません。
かと言って、そこまで女性的な身体を気に入ってるというわけでもない。
やっぱり男性でも女性でもなく、性別を感じないフラットな状態が自分にとってのベストなのです。
そんな自分が、どうしてオペやホルモン療法で中性的な身体に近づけようとしないのか。
どうして今のままでいい、身体も戸籍も名前も女性のままでいいと思えるようになったのか。
それには、ありのままの自分を受け入れてくれた恋人の存在がとても大きいです。
性別なんて関係ない、あなたはあなた。
そう心から想ってくれているのが、接してくれる度に、言葉の端々に、ひしひしと感じます。
そのような想いのおかげで、自分は性別という枠組みのもどかしさからだいぶ解放されました。
自分が女性の身体でも、オペをして中性や男性になっても、きっと今までと変わらず愛してくれるのだろうなと思えます。
恋人に限らずですが、自分がどんな性別であれ受け入れてくれて愛してくれる人がいる、ということは心からの安心に繋がります。
自分は今のままでいいんだ、と感じさせてくれる存在に巡り会えたことに、ただただ感謝です。
Xジェンダーとして生まれたという使命感
「身体を中性的にしてこそXジェンダーだ」と叫ぶ方もいますが、自分はそうは思いません。
男性らしくでも女性らしくでも中性らしくでもなく、結局は自分らしくいられればそれでいいと思っています。
これはあくまで個人的に思ってることなので、この考え方を誰かに押し付けたり強制するつもりはありません。
自分の場合、真の意味で性別に囚われていたくないだけなのです。
「Xジェンダーだから中性的でなければならない」というのは、ある意味で性別に囚われてると言えるのだと思います。
ジェンダーには揺らぎがあってもいいし、迷いがあってもいいし、あえて決めなくてもいい。
男性でも女性でもないからといって、第三の性別にこだわる必要もない。
今ではこんな風に生まれた自分だからこそ出来ることが必ずあるはずだ、とちょっとした使命感さえ感じています。
これからを担う若い子達のためにも、身体が中性的でなくてもXジェンダーとして生きる道を作っておきたい。
まずは一人でも多くの人々にXジェンダーという存在を知ってもらうこと。
そうして一人でも多くの性別違和について悩んでいる人の心が軽くなったらいいなと思ってます。
というわけで、今のところオペやホルモン療法をするつもりもないし、名前や戸籍を変更するつもりもありません。
(根が気まぐれなので今後気が変わることは大いにありえますが…)
今現在の自分としては、女性の身体のままXジェンダーとしての生き方を確立していきたい、と思っています。
それでは。